土
05
11月
2011
あなたの人生の今日、この日。神は、あなたに知ってほしいことがある。
困難なときほど、心を閉じて自ら孤独になろうとする。
誰もわかってくれないとか、周りは敵ばかりだとか…
だがそれは、真実ともっとも遠くかけ離れた幻想だ。
あなたは、神の一部だ。
神が、あなたとして、あなたを通して、生きている。
「私は、とこしえにあなたと共にある」
この神の言葉は、ただ美しい決まり文句じゃない。
「真実」なのだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
We Are All One.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず、二ールさんに、いつも、素晴らしい「ことば」をとどけて頂いて、ありがとうございます。御礼申し上げます。
ぜひとも、このタイミングで、お尋ねしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか。
「この世界」における「物理的現象」においても、「真実の世界」においても、「ひとつ」であり、「共にいらして下さる」こと、「ひとは切り離された孤独な存在ではない」ことは、(ちっぽけな論理的思考と、ささやかな経験から、ほんの少しだけ)分かります。
ただ、「わたし」にとって、分からないのは、なぜ、そうであるのに、「ひとつ」であることの、「喜び」や「平安」や、なにより「無限の愛」のままに、「日々のくらし」をいきることができないのだろうか? ということです。
「日々のくらし」で、ふりつもっていく、さまざまな「ものごと」。いくら、それを「きれいに」しても、「そのままにやりすごして」も、次から次へと、きりがない(ように思えるます)。
例えて言えば、
「太陽や月や星が、いつも、空から照らしくれてているのは、『分かって』はいる。その『光』をさえぎる『雲』を、『流れるまま』にしておくことも、風が『吹き流してくれる』ことも、『ある程度は、吹き流せる』ことも。さらには、『雲』さえも、その『大いなる一部』であることも、『分かる』。しかし、『雲』にさえぎられ続ければ、作物は、育っていかない。」(かえって、分かりづらいでしょうか)
「それを覆い隠すものは、なにもない、という気づきの領域に達していないから」というのが、もっとも分かりやすい答えではあるのですが、だとすると、「どのようにして、『雲の晴れ間に、真実を、少し、かいまみる』のではなく、『真実といつも共にあることを自覚して、たまに雲が流れているさまを、おだやかにながめる』ことができるのか」が、よく分かりません。
はやい話が、「幻想を見抜き、真実に生きるすべ」を、ときどきではなく、確固たるものにするには、どのようにしたら、よいのでしょうか。
文字で伝えられることには限界があり、それをいかに生かすかは、自分次第であることも、承知の上ながら、どうしても、お尋ねしてみたいのです。
もし、よきアドバイスがありましたら、お教え頂きたく存じます。
何卒、宜しくお願い致します。
長文を失礼致しました。
>Qより
「こうあるべき」という感情を抱かなければどんな出来事も楽しんで愛することができますよ。「どのようにして」は、知ろうとせずに受け入れてみては?
悠々です。
Qさんのコメントを、まるで自分自身が書いたもののように感じながら
読ませていただきました。
魂は、すべてを知っている。
私たちのマインドも、魂と協力し合おうとする存在である。
マインドも、マインドのレベルでの理解の準備は充分整っている。
しかし、それでも、「分かろうとしないもの」が、私たちの中にある。
神の愛に、抵抗している。
私自身、「分かろうとしないもの」の存在に手こずりましたし、
今も、時々、手こずっております。一言で表すと、潜在意識が持つ「信念」という
ものなのでしょうね。
>神の愛を存分に受け取りたいのに、それを幻想だと囁くもの。
>こんなに真剣に「愛」を意識しているのに、まだ「不安」を
感じているもの。
>真実を生きなければならぬと、プレッシャーをかけてくるもの。
今の今も、私はそれらと共に在ります。ただ、「分かろうとしないもの」すら
私の中にあるので、私の一部なのだと認めています。不思議なもので、
認め続けていると、頑なに抵抗していた「分かろうとしないもの」が、意外に
静かになってくれて、見えなかったものや感じられなかったことが、その姿を
はっきりと現してくれるようになってきました。
Qさん、
静かに、しばらく、そのものたちを見詰め続けてみてはいかがでしょうか。
Fさん、悠々さん、とても良きアドバイスを、ありがとうございます。
お二方に教えて頂いたことを、しばらく、自分自身に浸透させて頂いておりました。
お二方の表現は少しずつニュアンスが異なっていても、一つのことをさしているように、感じられました。
また、あらためて、自分の中の、「あせり」のようなものに、気付かせて頂きました。
そして、もっとも基本中の基本である、「いまにあること」(「受容」「静視」)に、立ちかえろうと、思いを新たに致しました。
先達の方々の、良きアドバイスを頂けましたことに、篤く御礼申し上げます。心より感謝いたしております。
ありがとうございます。
また、二ールさん、この場を設けて下さいました、nanaさんとJoeさんに、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
>Qより。
Q さんへ。
こんにちは。初めまして。私は、Teao と言います。
こちらでは、たぶん新参者です(笑)。
あなたの11月6日のメッセージを拝読して、私が思ったコトは
「神との対話」を読み終えて、私が感じたコトと似ている気がします。
「みんなは、この本を読み。その後、どう感じているのだろうか?。」
あなたのこのご質問ですが・・・
>ただ、「わたし」にとって、分からないのは、なぜ、そうであるのに、
>「ひとつ」であることの、「喜び」や「平安」や、なにより「無限の愛」のままに、
>「日々のくらし」をいきることができないのだろうか? ということです。
昨年の5月に、ニール氏の2度目の来日公演が東京プリンスホテルで
開催された時に、私は出掛けて行きました。
その時、不思議な事が起きました。講演中に何度か私はニール氏と
アイコンタクトしているのを感じたのです。
そして、講演の後半に質問コーナーが来ました。質問したくて手を挙げて
いる人は、10人以上いたと思います・・・。
私は壇上のニール氏からの視線を感じました。
「君が質問しなさい。」そう言われているように・・・。
私が手を挙げると、ニール氏は私を指し質問する権利を与えてくれました。
その時の、私の質問です。
いま人類は、この地球上で、さまざまな破壊的な危機を招いています。
それは我々が霊性(ワンネス)というものを忘れて生きている為だと思います。
我々は個々に、さまざまな人生を経験する為に、この世に生まれて来ました。
ですから、この世に生まれて来る時に、過去生での記憶を封印して、
真っ更な心で生まれ変わり、人生を手探りで生きているのは理解できます。
しかし、その結果として真理を失い、迷路に入ってしまった人間達が
社会の支配者層に君臨してしまった場合に、現状のような地球の危機を
招いているのではないでしょうか?。我々が神と繋がっていることを
何時でも自覚できていたならば、地球の危機は回避できたはずです。
人類は迷路で迷わずに進めたのではないでしょうか?。
なぜ我々は、この世に生まれて来る時に、そのコト(霊性)まで封印して
生まれてくるのでしょうか?・・・。
ニール氏は、こう答えてくれました。
君達が親だとして、3才になった子には、まず三輪車を与えるだろう。
もう少し大きくなったら補助付き自転車を与える。そして、もっと成長したら
自転車を、ひとりで乗れるように教えてあげるだろう。
3才になった子に、いきなり大きな自転車に乗せようとしても無理だね。
それと同じように、神は私達の成長度合いに合わせて霊性を与えるんだよ。
だから、私達は神からより大きな霊性を受け取る為に、学ばなければならない。
Teaoさん、良きアドバイスを、ありがとうございます。
私は、二ールさんの御著書を拝読したのみで、実際にお会いしたことはないため、Teaoさんが、二ールさんとの「対話」という、貴重な経験を、分かち合って下さったことに、心より御礼申し上げます。
この度、(このコメント欄の趣旨にかなうのかどうか、かなり思い切って)ご質問をさせて頂いたのですが、良かったと思っております。思いもよらず、それぞれの方のスタンスから、先の質問への良きアドバイスを頂いたこと、そして、それを通して、「わたし」にとっての基礎となる、「今ここにある」ことに、立ちかえるきっかけを与えて頂きましたことに、感謝しています。
このことについて、しばらくの間、「ゆだねて」みようか、と思っていたところ、本日、新たな、二ールさんからの「インスピレーション」として、「今ここに生きる」という「メッセージ」を頂き、大変、感謝しています。
二ールさんや、nana & Joeさん、「無限の愛」に、あたたかく、背中を押して頂いたように感じています。もちろん、アドバイスを頂いたお三方にもです。
改めて、篤く御礼申し上げますと共に、皆さんのご多幸と、「無限の愛」の恵みを祈念いたします。
最後に、二ールさんの「今ここに生きる」から、引用させて頂きました一文をもって、この一連の文章に関する筆を置かせて頂きたく存じます。
“ I live my life fully, moment to moment ”
ありがとうございました。
>Qより。
